ちくしょう

今朝久々に、実家で兄に捕まってしまうという夢を見た。
家に帰ってきたら母は出かけたのかおらず私ひとりで、時間的には兄が帰宅する頃。慌てて部屋に篭って心臓をバクバクいわせながら息を潜めていると、玄関に自分の靴が脱ぎっぱなしになっていたことを思い出す。しまった!自分のバカ!玄関に私の靴があったら、奴が帰ってきたときに「家の中にぐみがいる」って判ってしまうじゃないかああ!!!どうする?今から玄関に行って靴を隠す?でもそのときに奴が帰ってきたら?

とか迷っているうちに、玄関から誰か入ってきた。

で、なんか結局私は見つかってしまって、なけなしのドアも開いてしまって、私は捕まってしまうのだった。獲物に対して働く加害者のカンは、無慈悲なほどに鋭い。世界は無慈悲だ。

捕まる瞬間、私は「やっぱりだめなんだにげられないんだ」と観念していた。そこで目が覚めた。



目が覚めたときは悔しかった。何で観念させられるんだよ。今はもう遠くて、接触も絶っている奴から、何で逃げられないんだ。何で服従させられるんだ。悔しい。

フトンへのボンヤリとした恐怖の記憶

ポンスケが眠りに付く前にいろんな空想遊びをしているのを見ていると、自分の小さいころもこんな風にフトン王国で遊んでたんだよなーと記憶が蘇ってくる。
その記憶にはなんか不安や恐怖が入り混じっているんだよ。幼稚園のころは兄と一緒の寝室だったので、フトン王国では兄妹で一緒に遊ぶことが多かった。そのうち「二人だけで遊びなさい」と親が寝室を離れたりするのがまず怖い。親の目があっても、兄と一緒に布団にもぐったときに親の目が届かなくなる、その時も怖い。親と一緒の時間でも、兄が私だけに何かを伝えようとしてきたり接近してきたりするのが怖い。

その恐怖の記憶の根拠はなんだろう。その頃は(たぶん)性被害を受けてはいないと思うのだけれど、兄からはいろいろと理不尽な命令されたりしていたからなのか。それともフトン遊びというのが一般的に恐怖感を覚えさせる遊びなのか?


まあ、その1−2年後には性虐待を始める加害者の兄のことなので、その頃からじわじわと私を服従させよう・させたいという気持ちを滲ませていたのだろう、そしてその受け手の私も幼く、状況をつかめておらず、ボンヤリとした恐怖感しか憶えていないのだとは思うけれど。


いま、ポンスケのフトン王国での遊び相手はヘソオさんであり私であるんだけど。ポンスケは私らに恐怖感、持っていないよねえ???持っていないように?見えるけど。変にフトンに警戒心を覚えてしまっている、私の目だった。

別件

ポンスケに病気がみつかった。

一年くらいかけてじわりと発症していたように、今からなら、思い当たる。

この病はすぐに治るものではなく、最短でも数年ときいた。

闘病の日記を別に設けようかと思っている。

まだ若い頃、家庭での虐待とそれゆえの体や精神の不調を相談しようとして、失敗したことがある。
カミングアウトというよりは「どうすればいいかわからない」ゆえに知恵を借りようとしたのだ。

ひとりは中学校の担任の教師。二者面談のときに「悩みはあるか」というようなことをきかれ、「なんというか、家庭がおかしくて・・・モゴモゴ」というような、なんともハッキリしない切り口で相談を試みたのだった。ハッキリしない態度は自分の認知すら不透明だったゆえ、また、被虐待児によくある‘罪悪感の植えつけをされていたゆえだ。
担任は一呼吸おいた後一言で片付けた。「ま、どの家庭にも多かれ少なかれ問題はあるからね。」面談はそこで終わりになり、私はその教師にとって問題ナシの生徒にとどまったのである。

一言で流されたことに当時の私はかなりショックを受けたが、だからといってその教師を責めることはできないとも感じた。学校外の悩みのことまで面倒を見るのが果たして中学教師の仕事なのか?と思ったからだ。


もう一人が大学の時の友人だ。その人は専攻が分かれたときに心理を選択したときいて、飲み会の席で「実は私問題抱えてると思うんだけど。家庭のことで。兄が暴力振るったり」と話しかけてみたのだ。すると友人は「あ、自分はそういう話責任もてないからだめ!」とすぐさま遮断したのだった。
責任がもてないからだめというのは納得のゆく正しい答えなので、「分かったごめん」といってその話題はそれきりになったが、私の内心は大ショックであった。“その人に”受け入れてもらえないこともまあまあショックではあったが、それよりも、家庭内暴力の被害者」ということを表に出そうとする行為が社会的に迷惑行為であるのだ、という手ごたえを感じたことがショックであった。他人に迷惑をかけないように心がけたら、私はずうっとここから抜け出られないではないか。(←それで私はその人に対し長年嫉妬をこじらせていました(前回の日記参照)。)

まあ、その友人にしてみれば「心理専攻」というだけでその人の知識を拝借しようとか、研究室にそういうクリニックに詳しい先生もいるのだろうとかケアや解決方法へのノウハウを教えてもらえるかも、なんていう安易さが透けて見えて単純に迷惑だったんだろう。私の話しかけ方も一方的で不躾で性急だった。

15年前の田舎で、精神的なケアを20歳そこそこの人間が探すのは、金銭的にも知識的にも環境的にもとてもむずかしいことだった、心の底から「コネがほしい〜」と思っていたのだ。それでそんなに切羽詰って性急だったという事情もあるけどね。



どこかよいクリニック(、に限らずシェルターなどでも)につながれれば、と被害者のグループではよく聞く。どこかよいクリニックなんて私には探せなかった。探すことは探すことでひとつの大きな山に臨むようなサバイバルだったので、新たな手間をかけない方針でここまできた。

嫉妬

大学生のころ、自宅から通っている同級生に対し結構強い嫉妬心をもっていたことを、最近よく思い出す。

帰りの別れ際に「この人は安心して帰る家があるんだ」と感じ、自分が寂しくなっていたものだ。親しくなればなるほど、相手の家の環境やらどんなにすてきなきょうだいを持っているかなど細部まで想像(妄想)できてしまい、より悲しくなっていたものだ。

めらめらとどす黒い感情だ。だいぶ薄まったとは感じるがいまでも全部消えたわけではない。


このことを考え続けているのは、過去を懐かしむ目的からではなく、消えないからだ。
いまでも、私は自分の育ちの悲しい分だけ、己が嫉妬を持つことを正当化したいのだ。私はまだ悲しいのだ。

醜態

ゆうべ、両親そろって幼いポンスケの食事のようすをおおいに笑う。

ポンスケが寝付いてから、私とヘソ夫ふたりで、「あのときのポンスケはほんとうにかわいくておかしかったガハハ」とか笑い回顧しつつ、その行為がどれだけポンスケのプライドを打ち砕くものであったかにだんだんと気が付く。2対1。大人と幼児。あのときポンスケは泣いて抗議して笑うのをやめてくれと懇願したのだった。なんて残酷な。親は二人で真っ青になる。

そんな折ポンスケが夜泣き。ふたりでポンスケのもとに行き、一時間半ほど歌を歌ったりぬいぐるみで遊んだり。ポンスケのいつもより精神的に不安定な様子に、先ほどの無礼を反省しつつ、就寝。

けさ、保育園に出かけるポンスケに「ゆうべの、ポンスケの食事を笑ったことは悪かった」と言うと、ポンスケは「ウン」と大きくしっかりうなずいていた。ああやっぱりポンスケもゆうべ自分が酷い目にあったことをたくさん考えていたのか。

生活のなかでどんどん感覚が鈍っていたんだなと思い知った。